今日は2時ぐらいに元朝参りに行って、帰ってきてからネット見たり、急に氷室京介が聴きたくなり、実家の棚(夜中に)あさってipod即入れして聴いてました(Memories of Blueが聴きたくて・・・)。なんだかんだで4時就寝。8時に起きてご飯(ここしばらくお節は食べた記憶なし。。。苦笑)食べて、なぜだか知らないけど気がついたら寝てましまい・・・おきたら周りは暗くなってました。今、新年早々黄昏てます(爆)。
元朝参りにておみくじひいたら「末吉」で・・・来年のための準備期間のようなこと書いてました(縁談:周囲にいえない関係の縁談・・・是什麼意義?)。しかも1月~3月は「大殺界」、先が見えん・・・(> <;)
クリスマスの夜・・・12月25日午後7時14分ごろ、庄内町榎木のJR羽越本線の第2最上川橋梁(きょうりょう)近くで、秋田発新潟行きの上り特急いなほ14号先頭から5両が脱線、うち3両が転覆・・・5人の方が犠牲となりました。
私は2年前まで、山形県鶴岡市に住んでました。事故現場は住んでいた当時立川町と合併前で、余目町と言う名前でした。庄内地方は年中風が強く、冬は現場の映像でも見られるように、真横から雪が降ってきます。10分そこら歩けば半身雪だるまになってしまいます。 事故当時、庄内地方には暴風雪警報が出されていて、山形地方気象台酒田測候所の観測によると、事故が発生した時間帯(午後7時から同8時)は南西の風で、平均風速は7.2メートル。午後7時12分に最大瞬間風速21.6メートルを記録していたそうです。よく私も車を持っていなかったので特急いなほを利用してました。確かに乗っていて風に煽られているなって感じる事がほとんどでしたが、まさか風で脱線なんかするとは想定外でした(実際強風の場合は電車は運行を停止することが多々あり・・・)。ニュースで見る限り知り合いの方に大事はなかったのでホッとはしてますが、もし一身上の都合で転職しようとしなかったら私が被害に遭っていたかもしれません。庄内町と聞き慣れない町名で最初ピンとこなかったのですが、今は他人事と思えません。楽しいはずのクリスマスが台無しになったと思うと心苦しいです。
犠牲になった方々のご冥福をお祈りいたします。
←このCDは高校の同級生の方々が組まれたインディーズのバンド(現 解散)です。全作(全3枚)持ってます。写真のCDの「空と大地」が好きです。デストロンズは高校の時に生徒たちの投票で決めた名前です。楽曲には高校の時に製作された曲も入ってます。聴くと懐かしくなります。
以下 いろいろと思い出したのでだらだらと書いてみました。お見苦しいと思いますので読まなくて結構です。
友達だったとか知り合いとかいった類で紹介するわけでなく、今の自分がいるきっかけを作ってくれた人であり、感謝の意を表すものです。Vo.の方は中学校の時とある塾の夏期講習にて出会いました。とても私と1つ上とはいえない大人びた人ですが、話すと下ネタがとめどなく出てきて楽しませてくれる方でした。丁度その時の私は只なんとなく生きていた気がします。只なんとなく生きてきて、やっと自分が行きたい進路を見出したのはいいのですが、両親の希望の進路とは180度食い違ってた為、進むに進めず親と衝突し、葛藤していました(今なら投資する両親の気持はわかります・・・)。塾で出会った彼は、両親の進ませたい高校を目指してました。彼とは席が隣だった為、毎日顔をあわせいろいろ話をさせていただきました。あまりまじめな話はしなかったのですが、ごくたまにする真面目な話・・・彼の高校の志望動機とかこれまでのいきさつとか・・・聞いていて、この人が行きたいというくらいだから行く価値はあるかもしれないと思うようになりました。結局両親の希望をかなえる事になり・・・でも高校で自分を見失い腐り始め、無駄に高校生活を過ごしてました。そこでまた光を与えてくれたのがデストロンズ初め音楽で高校生活を謳歌している方々でした。彼らの聴いている音楽、歌う曲、全てが私に刺激を与えてくれました。彼らとその周りに流れる音楽がなければ今の私はいなかったでしょう・・・多分今以上な自分ではなかったと思います。素敵な縁でした。できればもう一度会ってありがとうと言いたいです。歳を重ねるとほんと違った見方が出来て嫌な思いでも良い経験と化すものですね。意見が合わなくて(衝突する勇気はなく逃げたのですが・・・)やめた剣道部の顧問の方の趣味が読書で、たまに「読書は贅沢な時間だ。」と仰ってました。読書なんてする時間もったいないと思っていたあの頃・・・今先生の仰ること、わかります。後悔いっぱいしながら今一日一日前向いて進んでます。このCDに出会い今までであった全ての人に感謝したいです。お粗末さまでした。

